先日、バスに乗っていた時のことです。女性の親子がたわいのない会話をしていました。日中の時間帯のバスでお年寄りが多く社内は静かでした。すると突然、その会話をしていた二人に向かって、高齢男性が「うるさい!静かにしろ!そんな話は家でしろ!」と怒鳴ったのです。周囲の人はギョッとして様子を見守ります。会話をしていた二人は謝罪して静かになりました。会話は確かに他の人にも聞こえていましたが、うるさいと思うほどでもなかったので私は驚きました。
こういうことは、公共の場所や乗り物でありがちな光景です。いきなり怒る人がいて、怒られる方は理不尽と思いつつも恐怖心から謝罪します。怒りをぶつける側はそれまでに何か積み重ねた不安や不満があるのでしょうが、突然ネガティブ感情をぶつけられる側からしたらたまったものではありません。
なぜこういうことが起きるのかを、心理的に分析してみましょう。
人間にはそれぞれ大切にしている価値観がありますが、それを道徳とはき違えて判断をしがちです。先ほどバスの例で言えば、怒鳴った高齢の男性は「公共の乗り物では会話はすべきではない」という価値観と、「私はバスに乗っている間は静かな環境を望む」というニーズを持っているとします。親子が会話をしていた状況は、その男性の価値観とニーズのいずれにも反します。バスの中で会話をする人=正しくない人という道徳的判断をして、自分が取り締まるべきであるから怒鳴ったという流れになるでしょう。
男性が怒鳴らず親子に不快な思いをさせずに対処する方法は何だったのでしょうか。
価値観は人それぞれです。それを言ったとしても「それはあなたの考えで皆に同じ水準を求めるのは違うのではないですか」となります。ですから、高齢の男性は自分のニーズを言葉にして伝えられたら良かったのです。おそらく「私はバスの中では静寂を好むので、なるべく静かにしてほしい」ということがニーズだったと推測します。それであれば、「突然割り込んですみませんが、私はバスの中で静かに過ごしたいので、もう少し声を小さくしてもらえませんか」という言い方ができます。それが言えていたら、その場の雰囲気は違っていたことでしょう。
バスの中での出来事について長く書かせてもらいましたが、この「自分のニーズを言葉にする」というのは誰にとっても難しいものです。職場でも家庭でも自分のニーズに鈍感であったり、言葉にできなかったりすることで対人関係の争いが絶えません。
次回は職場や家庭での出来事について書いてみたいと思います。